2011年7月17日日曜日

ポジティブ意識になるための方法(1)

どうやったらポジティブ意識になれるのでしょうか。ポジティブ意識になる方法はあるのでしょうか。よく考えると、ポジティブ意識になる方法はあるのでしょうか。ポジティブ意識になるための、具体的な方法があまりないために、その意識状態になるのは難しいのです。

そこで、ポジティブ意識になる方法の前に、まずポジティブ思考になるにはどうしたらよいかについて考えて見ることにしましょう。


自分がネガティブ思考であったことに気づき、ポジティブ思考になろうと考えた場合には、どうしたらよいでしょうか。ポジティブ思考になるためには、顕在意識(普通の表面意識)で自己を奮い立たせて、前向きに考えよう、積極的に取り組もう、と懸命に努力するということになります。何か問題となるような、普通の意味での悪い出来事があったとしても、この事件からどこかに学ぶべきことはないかと考えて、良い面を探し出す努力をするというようなことです。
こういう努力を何度も繰り返し、最終的に普段の思考の習慣化にまで持っていくということになるでしょう。ポジティブ思考を潜在意識に植えつけるためには、イメージトレーニングのようなことも考えられるでしょう。
ポジティブ思考をしようと思っても、怒りや恨みの念を抱いていると、なかなか顕在意識(表面意識)で前向きに考えようとしても、難しい場合があります。理不尽な酷い仕打ちを受けたなどの場合に、その怒りや恨みの気持ちを克服するのは、かなり難しい場合があります。ポジティブな思考に向かわせるためには、顕在意識(表面意識)での意識的な努力を、歯を食いしばってもひたすら続ける以外にありません。
基本的にポジティブ思考になるには、顕在意識(表面意識)での意識的な努力に尽きるように思われます。


意識的な努力が主なポジティブ思考とは違って、潜在意識に深く根付いたポジティブ意識には、どうやったらなれるのでしょうか。意識的な努力が行いにくいため、どうしたらよいのかが難しいのです。ポジティブ意識になるための、具体的な自分でできる方法がないのです。

例えば、ポジティブな意識になろう、ポジティブな意識を高めようと思った場合を考えます。しかしながら、ポジティブ意識になるためには、顕在意識(表面意識)でポジティブになろうと思っただけでよいのでしょうか。他者との一体感を感じるような利他的なポジティブ意識には、表面意識で努力できるような具体性があまりないのです。これでは、どうしてよいのか分りません。
とりあえず、まずポジティブ思考をするように一生懸命に努力することはできます。ですが、これは本質的なポジティブ意識とは違います。ポジティブ思考ができても、ポジティブ意識になるとは限りません。利己的なネガティブ意識のまま、ポジティブ思考(前向きに)をしているのかも知れません。
もっと直接的にポジティブ意識にもっていくような方法が必要になります。


そこでポジティブ意識にもっていく方法には、どんなものが考えられるでしょうか。顕在意識(表面意識)での意識的な努力は、あまり効果があるようには思えません。
するとポジティブ意識に持っていく方法としては、瞑想と実践的な行動しかないのではないでしょうか。

・瞑想
・行動


瞑想について考えて見ましょう。瞑想の仕方には、実に多くの種類があります。どういう瞑想がポジティブ意識にむすびつくのか考えて見ましょう。

瞑想でのサマーディの体験(すべてとの合一体験)が、ポジティブな意識と関係が深いことです。瞑想をはじめてすぐに、すべてとの合一状態に至るサマーディ体験が得られれば、自分と他者とが一体であるという、ポジティブな意識にすぐなれるでしょう。
しかし、普通は瞑想を始めても、そう簡単にサマーディ状態などには入れません。ヨーガの行者が
長い修行の末に、やっと到達できるかもしれないような状態です。ヨーガ行者でも到達できないかもしれません。
サマーディに達しなければポジティブな意識になれないのであれば、一般人には一生かかっても、ポジティブな意識になろうという努力だけで終わってしまうかもしれません。これでは努力のしがいがないと言わざるを得ません。
解脱を求めるならば、サマーディに到る瞑想に挑戦すべきでしょう。しかしポジティブな意識を持つためにする方法としては、サマーディに到る瞑想はハードルが高すぎます。
誰でもある程度努力すれば、ポジティブな意識を獲得できるような方法でなければ、一般人向きの方法ではありません。もっと瞑想の初心者でも、効果のある方法はないでしょうか。


そこで調べてみると、仏教に「慈悲の瞑想」と呼ばれる方法があることが分りました。慈悲の心は仏教の修行に役立つのです。

普通、人は、自分は個別の「存在」だと思っています。全部と繋がっているというような、統合された全体的な意識は感じていません。個別の「私」という存在を感じています。
「私は」と思うことにより、この宇宙全体にみなぎる生命のエネルギーと自分とは、別なものであり、自分は個別的な存在だと思います。そこから、自分と他者とを区別し、区別することによって、人間の苦悩として、いろいろな問題が生じてきます。
しかし、この「私」という個体があるという実感は、実に強烈な感覚なので、なかなか消えるものではありません。五感では、誰かが体に触ったら「触られた」と感じるし、暑い空気が体に触れたら「暑い」と感じます。音や光も、個体の肉体が五感を通して感じます。これらは自分は、他者とは違う個別の人間(個体)であるという個別意識を助長します。
ではどうすれば、自分と他者とを区別せず、慈悲の心を持てるでしょうか。そのための1つの方法として、慈悲の瞑想があります。
このような慈悲の瞑想を行うと、他者への慈しみの念が湧いてくるようになるでしょう。この他者への慈しみは、ポジティブな意識を持つための基礎になるでしょう。


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慈悲の瞑想は、南伝仏教で、四無量心(慈・悲・喜・捨)の瞑想からでてきた瞑想です。
日本テーラワーダ仏教協会や上座仏教修道会などで使われている方法です。

慈悲の瞑想のやり方は、次の4段階で、慈悲の言葉を唱えて、心にしみこんでいくように念じていきます。
言葉は、静かに心にしみこんでいくように、丁寧に丹念に念じます。一人で実践するときは、声を出さなくてかまいません。
姿勢は、背筋と頭をまっすぐにして、目を閉じて下さい。

1.自分自身への慈悲の瞑想(幸福を願う)行う。
2.自分の周りの親しい人(両親、友人、子供等)への慈悲の瞑想(幸福を願う)行う。
3.全ての生命(生きとし生けるもの)への慈悲の瞑想(幸福を願う)行う。
4.自分が嫌いな人、嫌っていると思われる人への慈悲の瞑想(幸福を願う)行う。
自分が嫌いな人のことを、心に思い浮かべて、慈悲の瞑想を実践します。
さらに、自分のことを嫌っていると思われる人のことを、心に思い浮かべて、慈悲の瞑想を実践します。

1から3までは、誰でも比較的抵抗がなく、慈悲の瞑想が行えると思います。
しかし、4については、怒りや恨み、憎しみを抱くような、酷いことをされた相手に対しても、慈悲の瞑想を行わなければなりません。このような憎むべき相手に対して幸せを祈るという行為は、心の中に強い抵抗が生じることがあります。その心の中の抵抗を乗り越えて、慈悲の瞑想を続けていくと、心の中にあった怒り、恨み、憎しみが薄らいでくることが分ります。それだけの酷い状況に合っても、心の抵抗を乗り越えたことは、深い慈悲の心を持てるようになり、心の強さにもつながります。
長く続けていると、最終的には、心の中にあった怒り、恨み、憎しみの念もなくなっていくでしょう。

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唱える言葉
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1.自分自身への慈悲の瞑想

・私は幸せでありますように
・私の悩み苦しみがなくなりますように
・私の願いごとが叶えられますように
・私に悟りの光が現れますように
・私は幸せでありますように
ここまでを3回繰り返す。


2.自分の周りの親しい人への慈悲の瞑想

・私の親しい人が幸せでありますように
・私の親しい人の悩み苦しみがなくなりますように
・私の親しい人の願いごとが叶えられますように
・私の親しい人にも悟りの光が現れますように
・私の親しい人が幸せでありますように
ここまでを3回繰り返す。


3.生きとし生けるものへの慈悲の瞑想

・生きとし生けるものが幸せでありますように
・生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
・生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
・生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように
・生きとし生けるものが幸せでありますように
ここまでを3回繰り返す。


4.嫌いな人と嫌っている人への慈悲の瞑想

・私の嫌いな人も幸せでありますように
・私の嫌いな人の悩み苦しみがなくなりますように
・私の嫌いな人の願い事が叶えられますように
・私の嫌いな人にも悟りの光が現れますように
・私を嫌っている人も幸せでありますように
・私を嫌っている人の悩み苦しみがなくなりますように
・私を嫌っている人の願い事が叶えられますように
・私を嫌っている人にも悟りの光が現れますように
ここまでを3回繰り返す。


5.最後の生きとし生けるものへの慈悲の瞑想

・生きとし生けるものが幸せでありますように
最後にこれを3回繰り返す。

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仏教に限りませんが、伝統的な宗教の修行の中には、このようなポジティブな意識へと向けるような修行内容も含まれています。怒りや恨みのためポジティブ思考になかなかなれなかった人でも、このような方法で自分の中のマイナスの感情を浄化していくことで、次第にポジティブな意識へと向けていくことができます。ポジティブな意識になれば、ポジティブ思考することも、よりたやすくなっていくように思われます。
ポジティブな意識を持ち、ポジティブな意識を高めていくことには、それなりの努力を要するものと思われます。

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