2011年7月13日水曜日

「人間は神である」という意味

あるチャネラーが、「人間は神である」と言いました。
私もその言葉の内容自体は否定しませんし、言われた時点では、なるほどとも思いました。私も人間の中には、神性(仏性)とでもいうべきものが存在していると思っています。


しかしながら、私の思う「人間は神である」という意味とは、そのチャネラーのいう「人間は神である」という意味とは、かなりニュアンスの異なる言葉でした。
私のいう「人間は神である」という意味は、人間の中に本来ある神性(仏性)が、その人の魂の奥から表に出るように、自己を磨くことにより、魂を輝かせるというような意味です。


ところで、このチャネラーの言っている「人間は神である」という意味は、どうも違う意味に捉えられました。このチャネラーにとっては、自分の好き勝手に現実を操作できることを指して、「人間は神である」と言っていることが、話の内容から分ったのです。
つまり、「人間は万能の神のように、すきなように現実を変え、思い通りに現実世界を操作できる」ということなのです。現実世界を好きなように操作できるということに、このチャネラーの言うことのポイントはあるのですね。

このチャネラーの「人間は神である」という言葉からは、あまりにも明確に、このチャネラーがネガティブ意識の人間であることが明らかとなってしまいました。
ネガティブ意識の人間は、利用価値があれば、他者を自分の意志に沿うように操作(コントロール)し、支配しようとするのです。ネガティブ意識の人間は、どこまでいっても自分と他者との間には、はっきりとした区別があります。他者は利用すべき対象ではあっても、あくまで大切に取り扱うべき自分自身ではないのです。
ネガティブ意識とは、ネガティブ思考ということではありません。ネガティブ意識でも、ポジティブ思考で社会的に活躍している人は多くいます。ネガティブ意識とは、他者と自分とを厳然と区別し、自己のみへ奉仕する者のことです。ネガティブ意識の人間は、基本的に自己への奉仕者ですから。


もしこのチャネラーのような、わがままで身勝手な人間の思うままの世界が、もし出現したとするなら、それは天国ではなく、地獄となるのではないでしょうか。
その世界を作った、わがままで身勝手な人間にとってだけは、天国といえても、他の人にとってはその世界は地獄そのものでしょう。
自分だけが好き勝手なことができる世界、それは独裁者の世界にすぎません。このチャネラーの考える神とは、そんな程度のレベルの低い存在なのかということです。

こんな世界は、私の意味するところの神の世界ではありません。
神は人間を思い通りに操作もしなければ、好き勝手なことをする存在でもありません。
それは厳しい神律に反します。神律に反したことを神は、行いませんし、行えません。

このチャネラーにとっての神性は、自分の中にある魂を磨きに磨き、高めに高めて、できるだけ輝かせるという意味ではないのです。


神からも「何とすばらしい人であることか」と感嘆されるような行動を取れる人こそが、「人間は神である」といわれるにふさわしい人でしょう。
これこそ、神からも祀られる人である、と言えます。

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